アラフィフ興味散漫ライフのゆくすゑ

趣味・好奇心・アイディア・子育て後悔録・何でもあり

またSNSの闇、、、

これは半分は独り言です。

自殺させちゃうなんて

SNSってなんて残酷なのだろう。

SNSの闇の部分。

追い詰めて追い詰めて

本当に「死んでくれたら」と思って送信してるのかな。

「本当に死んじゃうとは思わなかった」と思っているのかな。

こういうことがあるとSNSに対する嫌悪感がまた。。。

個人対個人のSNS攻撃について考えた。

(以下↓頭の中まとまったので改めました)

 

今日日テレの『スッキリ』で

ある話が耳に残りました。

新潟青陵大学碓井真史教授(社会心理学)のことば、

『誹謗中傷』と『批判』は分けて考える必要がある、とのこと。

 

『誹謗』とは、他人への悪口を言ったり罵ったりすること

『中傷』とは、根拠のない嘘やでたらめを述べ、他人の名誉を傷つけること

『批判』とは、物事に検討を加えて判定・評価すること

 

分かりやすい。

『誹謗中傷』と『批判』をちゃんと使い分けるというか

違いを知っていなければいけない。

これは若い子たちにきちんと教えてあげたい。

 

 

『批判』は論理的に分析、評価することなので悪いことではない。

でも書き方によっては相手を責めるような印象になる可能性もあるので

注意は必要です。

また『批判』は『非難』と混同されがちだそう。敢えて書くと、

 

『非難』とは、相手の欠点や間違いなど、悪い点を責め立てること

 

責めるつもりで書けば相手も非難されているように感じるでしょうし、

改善のための批判なら思いやりを込めて伝えれば相手は素直に受け取るでしょう。

私も世の中に色々意見や批判を書いていると思うけれど

問題は個人攻撃になってしまうこと。

攻撃的な発信をしている人には

これは誹謗中傷だな、

これは非難だな、

これは批判だけれど責めているように感じるかな、

と、自分の発信がどれに当たるかを考えてくれたらいいのですが、、、

余裕がないとそんなことまで考えられませんね。

 

本日総務省から、匿名の発信者を特定できる制度を

早急に進めていくとの発表がありました。

まずはいいことだと思いますが、

そのような人たちを非難するだけではきっと解決しない。

 

根本的な問題として、

個人攻撃をする人は

誰かに救われなければいけない人たちかもしれない。

昨年の12/18の記事では事件について書きましたが、

彼らがSOSを出していることと等しいのではないか。

そのSOSにも当然レベルがあるでしょうけれど。

満たされている人が攻撃的になったりはしないと思うので、

荒々しい攻撃を繰り返す人には何か抱えているものがあるはずで、

誰かが手を差し伸べなければ攻撃はなくならないでしょう。

 

 

匿名で攻撃を仕掛けるのだから、発信元は分からないのですよね。

でも今後は発信者を特定できるようになりそうです。

発信者を見つけた後、

当然罰せられなければなりませんがフォローも必要だと思います。

不平不満のはけ口にして憂さ晴らしをしてしまう人たち。

きっと山のようにいる。

 

でもその中にはきっと

鬱屈した時期はあるものの

成長過程における思春期という限られた時代だけで済んで、

大人になった時に

「自分にもあんなひどい時期があったよね」

と笑い話にできる人も一定数含まれていますよね。

 

その境界線って、、、何なのだろう。

他人から気にかけてもらった量?

それともそこに境界線はなく、

理性のある大人になれた人でも

誹謗中傷を発信してしまった人もいるのだろうか。。。

鬱屈時代の中にいる場合、

歯止めがきく人ときかない人の差は何なのだろう。。。

どちらに転ぶか分からないほど表裏一体なのだろうか。

 

 

私もいつでも余裕があるわけではないけれど、

自分の心に余裕がある時には、

意識的に受容の心で過ごしてみよう。

電車やバスに乗る時、

スーパーで買い物する時、

街で人とすれ違う時、

ちょっと尖っている人と出くわした時に

あえて親切にしてみる。

「お先にどうぞ」とか

「お先にごめんなさいね」とか

イライラしている人に優しくしてみる。

神様仏様のような微笑みで包み込んでみよう。

 

うー、ハードルは高いけれど、

微笑みすぎて

「なめてんのかぁ!?」って怒らせないようにさりげなく。

わざわざ追いかけて行って何かしてあげるということではない。

何もできないタイミングの時もあると思う。

今のご時世危険も隣り合わせになると思うので

広い心を意識するだけでいいのかもしれない。

 

温かい気持ちに触れてもらいたいと思う。

ちょっとしたことで、ひとつくらい攻撃の言葉を止められるかもしれない。

そんなに簡単に止められることではないかもしれないけれど

「ちょっとだけ気にかけてみる」

ってポイントな気がしています。