アラフィフ興味散漫ライフのゆくすゑ

趣味・好奇心・アイディア・子育て後悔録・何でもあり

気遣いで生きてきましたが気遣いやめました

 

約半世紀、気遣い・気配りで生きてきました。

母もとても気遣い・気配りするタイプで

それを見てきたせいもあったのか

そこそこ気がつくようになっていました。

気遣い・気配り=美徳のように

世間的に正しいと思われているかもしれません。

もちろんやりすぎの場合は別の話ですね、、、

『よく気付くよね』

『気配りがすごいね』

とよく褒められていたし

自分ではそれが当たり前で

それが苦しいとか無理をしているということは

全くありませんでした。

今思えばやり過ぎだったような気も、、、しますね。

 

それはいつでも

他人からきちんとした人だと映っているか

他人の目に映る自分

自分より他人

そればかりを意識した生き方だったのかもしれません。

 

 

でもスピリチュアルで知ったこと。

(これは社会でうまく立ち回るための話ではなく

 魂の話です)

 

他人からどう思われても関係ない

嫌われていようがどうでもいい

気にする必要もない

問題は自分の心

自分がどうしたいのか

自分が気分よく感じることができるのは何か

正直な自分の気持ちは何なのか

なによりも優先すべきは自分の心だと。

自分を可愛がってあげることが何よりも最優先だと。

 

え!?どう思われようが関係ない!?

それで社会はうまくいきます?

今まで他人の気持ちを優先してきたのは

間違いだったのか?

人間関係うまくやれていたのだから

きっと間違いではなかったのでしょうけれど

本来の自分ではなかったということか。

自分の心は床下収納の狭いところに

押し込められていたような状態だったのかもしれません。

でもそれが当たり前すぎて。

もうそれが癖になってしまって。

もっと自分の気持ちを大事にしていたら

優先していたら

何か変わっただろうか。。。

 

 

想像してみます。

誰もが自分の気持ちを優先する。大事にする。

やりたくないことはやりたくないと気兼ねなく言える。

行きたくないところには行きたくないと気兼ねなく言える。

自分の気持ちを大事に優先しているので

他の誰かも自分の気持ちを大事に優先しているだけだ

ということが理解できる。

自分の気持ちを尊重すると

相手もそうであることを認められるし

他人の意思を尊重できるようになると。

自分が嫌なことしたくないことはしないので

いつも機嫌がよくいられる。

みんながみんな機嫌がよかったら、、、

争いは生まれるだろうか。

本当に目指すはきっとここ。

自分を大事にして充分満たされて

みんなが自分を愛せてはじめて他人も愛せるのだという。

 

だからもうすぐこの三次元の世界が崩壊すると

その先には自分の心を愛で満たした者たちが行く平和な世界と

自分の心を押し殺し、他人を羨み、妬み、憎み、

不満足な心の状態の者が行く不安定な世界に分かれてゆく、

それが魂の次元上昇って話に繋がるようです。

スピリチュアルな人たちが皆取り組んでいるのは

自分を大事にすること。可愛がること。

妬み嫉み憎しみなどネガティブな感情を捨てること。

争いのない平和な世界を本当に求めているなら、、、

 

 

三次元のこの世界では協調性がないとか

自分勝手だと言われかねないので

なかなか難しい話なのですが

全員が一斉のせい!で変わったら

成り立つかもしれませんね。

でももう気遣いが成り立っていた昭和・平成は終わり

自分を大事にしてあげる時代が来ているのかもしれません。

私はこのような理由で

意識改革をしようと思いました(*´꒳`*)

 

 

※スピリチュアル、光側闇側色々ありすぎるので

リアルで踏み込みすぎないようにご注意くださいね。

2021.6.16の記事の中に

スピリチュアル学ぶときに気を付けて

という内容も含まれていますのでよろしければそちらも

お読みになさってください。